早島 潮さんの旅行記
テーマ:
旅行記タイトル:ケマルパシャの炯眼
旅行期間:1998/09/02〜1998/10/06

旅行記の内容:
アンカラ、カッパドキア、コンヤ、パムッカレ、ニサ、エフェソス、ベルガマ、トロイチャナッカレ、イスタンブールの順に9日間でトルコの主要部を駆け巡った「充実のトルコぐるり周遊」の旅のガイドは、美しい日本語を喋る29歳の独身男性で、トルコ人のハリーさんであった。
アンカラで立ち寄ったアタチュルク廟で、近代トルコの初代大統領ケマルパシャのことをトルコ人はアタチュルクと尊称し、建国の父という意味ですと説明し、続けて彼の功績に言及するハリーさんの語調はあたかも信徒が教祖を語るもののようであった。
ケマルパシャは、マケドニアのサロニカ出身でイスタンブールの陸軍士官学校在学中から、フランスの革命思想に傾注し、トルコ帝国の弊政改革と立憲制を目指す民族解放運動に参加した。
一九0八年青年トルコ党の革命後は、同党と対立、以後軍事に専念し、第一次世界大戦では祖国防衛のために、ダーダネルス海峡を死守した。
戦後、帝国政府が国土を列強に分割割譲するという屈辱的なセーブル条約を締結するやこれに反対して、アンカラに大国民会議を招集して議長となり、結集した国民党を率いて軍事行動を起こし、ギリシャ侵入軍を駆逐した。
そしてセーブル条約を破棄し、トルコに有利なローザンヌ条約を締結することに成功した。
一九二三年に共和国が成立すると初代大統領に推されて三期連続その任にあたった。
この間、政教両権を握る専制的なスルタンカリフ制と保守的なイスラム法を廃止し、近代法の導入と国字のローマ字化等の近代化を断行した。
アンカラの市内は大きなビルが立ち並ぶ近代都市であるが、至るところにビルの新築工事現場があり、建設ブームを現出していた。
カッパドキアでは、駱駝岩や茸岩と呼ばれる奇岩等を見学した。
もともとカッパドキア地方は、太古の時代には、お碗状の窪みであったが、エルジェス火山の噴火により、これが溶岩と火山灰によって埋め尽くされた。
その後長年の風雨で、組成の柔らかい部分が浸食され、現在見るような面白い形の奇岩を形成した。
また、到るところの大きな岩に、人間が生活できる洞穴が人の手により、数限りなく穿たれている。
この洞穴は、アラブ人の迫害を逃れたキリスト教徒達が隠れ住んで、信仰生活を営んだ教会や僧坊や住居の跡である。
この地方の山々や平地には全然木が生えておらず、周辺の奇岩の群れと相まって荒涼とした景観をつくり出している。
パムッカレのネクロポリスはヘレニズム時代からビザンチン時代までの様式がみられる共同墓地で、古代の墓の数が千二百以上も残されていて、石柩や墓石や廟柱の壊れたものが所狭しと転がっているが、その過半のものは大理石である。
また、この近くのヒエラポリスは紀元前百九十年に始まった都市国家の遺跡であるが、ベルガモン王エウネメネスによって創建され、ローマ、ビザンチン時代まで繁栄を続けた。
円形劇場やアポロ神殿等の遺跡が残されている。
この都市はセルジュクトルコによって滅ぼされた。
圧巻はこの国最大規模のエフェソスの遺跡である。
保存状態が良く、体育場、競技場、聖母マリア教会、アルカディアンストリート大劇場、マーブルストリート、ケルスス図書館、マゼウスとミトリダテスの門、クレテスストリート、娼館、ハドリニアヌス神殿、トラヤヌスの泉、ヘラクレスの門、メミウスの碑、市公会堂、公衆トイレ、オデオン、アゴラ、ドミティニアヌス神殿、浴場等の遺跡があり、往時の繁栄振りがよく判る。
ベルガモ、トロイと遺跡巡りの旅は続いたが、このあたりまで来ると、いつしか山々にはオリーブの木が豊かに繁茂し、畑には綿花が花を咲かせ、農家の庭には無花果や石榴の実が見られ、緑豊かな光景に変わっていた。
イスタンブールはアジア的なものとヨーロッパ的なものが混在している都市であり、オスマントルコによるイスラム文化の遺産が豊富に且つ誇らしげに温存されている都市である。
そして、ここに到着するまでに垣間見た各都市での建築ラッシュは何処もすさまじいものであったが、イスタンブールでも同様であった。
国全体が活力に満ちて、発展しているという印象である。
オスマン帝国の支配者の居城であったトプカピ宮殿、ビザンチン建築の最高傑作といわれるアイヤソフィア、六本のミナレット(尖塔)を備え、内部の壁面が美しいブルーモスク、ヨーロッパ各国からの献上品が豊富に所蔵されている華麗なドラマバフチェ宮殿。
これらはいずれも、ヨーロッパ、アジア、アフリカにわたる地域を支配したオスマン帝国の政教一致の権力者が営んだモスクや宮殿であるから、規模の大きさ、贅を尽くした豪華さはイスラムの文化遺産としては他に比類をみないものである。
この国ではいまでも国民の九割はイスラム教徒である。
このような政治的にも宗教的にも文化的にもイスラムの原理が強烈に浸透している国で、ケマルパシャが一九二三年に、いちはやく政教分離、イスラム法の放棄、国字のローマ字化を断行して立憲制国家への道を選択したことは、いまなお政教を分離せずイスラムの原理に固執して、発展もなく、暗鬱な国柄に陥っているイランやイラクの国民の苦悩を思う時、優れた為政者の炯眼であったと断言できよう。
鶏頭や モスクに想う 国父像
写真:
アンカラ、カッパドキア、コンヤ、パムッカレ、ニサ、エフェソス、ベルガマ、トロイチャナッカレ、イスタンブールの順に9日間でトルコの主要部を駆け巡った「充実のトルコぐるり周遊」の旅のガイドは、美しい日本語を喋る29歳の独身男性で、トルコ人のハリーさんであった。
アンカラで立ち寄ったアタチュルク廟で、近代トルコの初代大統領ケマルパシャのことをトルコ人はアタチュルクと尊称し、建国の父という意味ですと説明し、続けて彼の功績に言及するハリーさんの語調はあたかも信徒が教祖を語るもののようであった。
ケマルパシャは、マケドニアのサロニカ出身でイスタンブールの陸軍士官学校在学中から、フランスの革命思想に傾注し、トルコ帝国の弊政改革と立憲制を目指す民族解放運動に参加した。
一九0八年青年トルコ党の革命後は、同党と対立、以後軍事に専念し、第一次世界大戦では祖国防衛のために、ダーダネルス海峡を死守した。
戦後、帝国政府が国土を列強に分割割譲するという屈辱的なセーブル条約を締結するやこれに反対して、アンカラに大国民会議を招集して議長となり、結集した国民党を率いて軍事行動を起こし、ギリシャ侵入軍を駆逐した。
そしてセーブル条約を破棄し、トルコに有利なローザンヌ条約を締結することに成功した。
一九二三年に共和国が成立すると初代大統領に推されて三期連続その任にあたった。
この間、政教両権を握る専制的なスルタンカリフ制と保守的なイスラム法を廃止し、近代法の導入と国字のローマ字化等の近代化を断行した。
アンカラの市内は大きなビルが立ち並ぶ近代都市であるが、至るところにビルの新築工事現場があり、建設ブームを現出していた。
カッパドキアでは、駱駝岩や茸岩と呼ばれる奇岩等を見学した。
もともとカッパドキア地方は、太古の時代には、お碗状の窪みであったが、エルジェス火山の噴火により、これが溶岩と火山灰によって埋め尽くされた。
その後長年の風雨で、組成の柔らかい部分が浸食され、現在見るような面白い形の奇岩を形成した。
また、到るところの大きな岩に、人間が生活できる洞穴が人の手により、数限りなく穿たれている。
この洞穴は、アラブ人の迫害を逃れたキリスト教徒達が隠れ住んで、信仰生活を営んだ教会や僧坊や住居の跡である。
この地方の山々や平地には全然木が生えておらず、周辺の奇岩の群れと相まって荒涼とした景観をつくり出している。
パムッカレのネクロポリスはヘレニズム時代からビザンチン時代までの様式がみられる共同墓地で、古代の墓の数が千二百以上も残されていて、石柩や墓石や廟柱の壊れたものが所狭しと転がっているが、その過半のものは大理石である。
また、この近くのヒエラポリスは紀元前百九十年に始まった都市国家の遺跡であるが、ベルガモン王エウネメネスによって創建され、ローマ、ビザンチン時代まで繁栄を続けた。
円形劇場やアポロ神殿等の遺跡が残されている。
この都市はセルジュクトルコによって滅ぼされた。
圧巻はこの国最大規模のエフェソスの遺跡である。
保存状態が良く、体育場、競技場、聖母マリア教会、アルカディアンストリート大劇場、マーブルストリート、ケルスス図書館、マゼウスとミトリダテスの門、クレテスストリート、娼館、ハドリニアヌス神殿、トラヤヌスの泉、ヘラクレスの門、メミウスの碑、市公会堂、公衆トイレ、オデオン、アゴラ、ドミティニアヌス神殿、浴場等の遺跡があり、往時の繁栄振りがよく判る。
ベルガモ、トロイと遺跡巡りの旅は続いたが、このあたりまで来ると、いつしか山々にはオリーブの木が豊かに繁茂し、畑には綿花が花を咲かせ、農家の庭には無花果や石榴の実が見られ、緑豊かな光景に変わっていた。
イスタンブールはアジア的なものとヨーロッパ的なものが混在している都市であり、オスマントルコによるイスラム文化の遺産が豊富に且つ誇らしげに温存されている都市である。
そして、ここに到着するまでに垣間見た各都市での建築ラッシュは何処もすさまじいものであったが、イスタンブールでも同様であった。
国全体が活力に満ちて、発展しているという印象である。
オスマン帝国の支配者の居城であったトプカピ宮殿、ビザンチン建築の最高傑作といわれるアイヤソフィア、六本のミナレット(尖塔)を備え、内部の壁面が美しいブルーモスク、ヨーロッパ各国からの献上品が豊富に所蔵されている華麗なドラマバフチェ宮殿。
これらはいずれも、ヨーロッパ、アジア、アフリカにわたる地域を支配したオスマン帝国の政教一致の権力者が営んだモスクや宮殿であるから、規模の大きさ、贅を尽くした豪華さはイスラムの文化遺産としては他に比類をみないものである。
この国ではいまでも国民の九割はイスラム教徒である。
このような政治的にも宗教的にも文化的にもイスラムの原理が強烈に浸透している国で、ケマルパシャが一九二三年に、いちはやく政教分離、イスラム法の放棄、国字のローマ字化を断行して立憲制国家への道を選択したことは、いまなお政教を分離せずイスラムの原理に固執して、発展もなく、暗鬱な国柄に陥っているイランやイラクの国民の苦悩を思う時、優れた為政者の炯眼であったと断言できよう。
鶏頭や モスクに想う 国父像
カッパドキアの茸岩

エフェソスの古代劇場

エフェソス

エフェソス

エフェソス

エフェソス

トロイの木馬

トロイ遺跡

トプカピ宮殿

トプカピ宮殿より展望

アガサクリスティーの部屋のあるベラパレスホテル

アガサクリスティーの部屋のあるベラパレスホテル

ボスポラス海峡。
海の守りの城砦

記念塔

ブルーモスク

カッパドキア

カッパドキア

カッパドキア

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