アレキサンドリアの図書館、ベルガモの図書館と並ぶかつての世界三大図書館の一つ、エフェソスのセルシウス図書館の跡地
エフェソスの最初の住民はギリシア人ではなく、リュディア人だったと考えられている。ヒッタイト人の文献に登場するアルザワ王国都市アパサがエフェソスと同一の都市であると多くのものが考えている。発掘からはミュケナイ文化に属する陶器が見つかっている。
古典期のエフェソスはアルテミス崇拝で著名であった。エペソスでは比較的遅くまで王政が敷かれた。哲学者ヘラクレイトスはこの町の出身である。
紀元前356年、エペソスのアルテミス神殿に放火すれば後世に名が残ると考え放火したものがおり、このとき神殿は完全に焼尽した。エペソスの市民は記録にこの男の名を留めまいとしてあらゆる公的記録からその名を削ったが、この試みは失敗し、ヘロスタトスという名が伝わっている。アルテミス神殿は再建され、世界の七不思議の一つに数えられた。
エフェソスはヘレニズム都市として栄えたが、紀元前2世紀に共和制ローマの支配下に入り、小アジアの西半分を占めるアシア属州の首都とされた。共和制ローマ最末期に、第2回三頭政治の一頭として権力を握ったマルクス・アントニウスがプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世と共に滞在した地で、かつクレオパトラとの内戦で敗北して捕虜となったアルシノエ4世が送られ、そしてアントニウスら2人の意向により殺害された地としても知られている。その後古代ローマ帝国の東地中海交易の中心となった。現在残るアルテミス神殿の遺構はローマ時代に建てられたもので、巨大な図書館と劇場を備えていた。劇場は当時最大のもので、5万人が収容された。エフェソスの繁栄は港湾によるところが大きかったが、しかし土砂の沈降により、2世紀ごろから港湾の規模は縮小されていった。これはエフェソスの側にある二つの山から流れ込む土砂の堆積によるものであった。
エフェソスには比較的早くキリスト教が入り、新約聖書にはエフェソスの教会にあてた書簡がある(パウロに帰せられるが、真筆書簡かどうかには疑いがある)。また伝承では、使徒ヨハネはパトモス島の流刑から開放された後、エフェソスの教会の主教(司教)を勤める傍ら、ヨハネによる福音書を書いたと伝えられる(ただし現在の研究ではこの伝承の史実性は否定される)。
聖母マリアも使徒ヨハネとともにエフェソスで余生を送ったと伝えられる。またアンティオキアのイグナティオスにも、エフェソス教会にあてた書簡が残っている。
4世紀以降キリスト教が公認されると、エフェソスはたびたび教会会議や公会議の舞台となった。その中でも重要なものは、テオドシウス2世の勅令下で開催され、ネストリオス派に異端が宣告された431年のエフェソス公会議と、単性説と三位一体論の論戦が行われ前者が正統とされた449年のエフェソス強盗会議である。この決定は後に覆された。
東ローマ帝国のもとでも、エフェソスは引き続きアシア属州の首都として繁栄した。政治と経済の中心であり、また府主教座がおかれる教会行政の中心でもあった。多神教が禁止された後、一部アルテミス神殿や劇場は街の建築資材を得る場所とされ、石材が搬出されるとともに、一部は住宅地に侵食されていった。エフェソスの神殿の石材の一部はコンスタンティノポリスの建築資材としても使われた。7世紀にはいると、ペルシアやアラブの勢力拡大を受け、7世紀半ばに城壁が設けられた。この頃になると、港の沈降が進み、近郊の港が外港として使われるようになった。また帝国の官僚や教会は、古来の都市からアヤソルクの丘に中心を移した。その結果、市域は分散しまた拡大した。そののちも経済活動は活発に行われたが、8世紀に至り、アラブ人の攻撃をたびたび受けたことから、東ローマ帝国はエフェソスを放棄した。港が完全に埋まったのはその後のことである。
現在のエフェソスはトルコの小村アヤソルクの一部である。世界最大級の大規模な古代都市遺跡のほかに、アルテミス神殿の遺跡、聖母マリアが晩年を過ごしたといわれる地に建てられた礼拝堂『聖母マリアの家』、聖ヨハネ教会、考古学博物館などがあり、トルコの重要な観光地の1つになっている。『聖母マリアの家』には、バチカンからの代表者が毎年参拝するほか、歴代のローマ教皇も訪問(1967年パウロ6世、1979年ヨハネ・パウロ2世、2006年ベネディクト16世)している。
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